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たびにでました

探さないでください(違う)。

日帰りの超強行軍の為、黒い飛行機に乗りました。シートピッチが広いのはいいのですが、そこまでやるなら肘掛けを共用しない造りにしたいところです。まあ、概ね満足ですが。

分かる人にはどこに何しに行ったかすぐバレそうだ…。
[A320  Starflyer]

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へんなさいと

ウチだなんて突っ込みは勘弁してくれぇ!

 いやね、先日元上司から「変なサイトを見つけたので紹介します(という趣旨)」といってあるサイトを紹介されたんです。思いっきり怪しいんですけど、エロとかグロとかそういう方向での危険性はありません。でもね、着ぐるみなんですよ、着ぐるみ。

 別に見に行かなくても怒るような人ではないので見に行く必要はなかったんですが、ものは試しと見に行っちゃったんです。…えーと、すごい。着ぐるみだよホントに。一瞬等身大のあれかと思ったら着ぐるみなのね、本当にこれ(結構感動しているらしい)。敢えてサイト名もURLも書きませんから探してみてください(そりゃ無理だ)。

 基本的には実写のギャラリーサイト、ということになるのでしょう。で、そのギャラリーを見ていたら「ゆふいんの森」とか「ソニック」という単語を発見…そういうところに目が行くのはやはり鉄分多めなのでしょうか。流行のスポットとかそういう字面を見ても「ふーん」で流しちゃうくせに…。ええ、画像自体もしっかり見てしまいました。こんな人の多いところで着ぐるみで写真撮ってるよ…という別の意味でも感動してしまいます。考えてみると、着ぐるみを着る人と撮影者がいるので最低2人はいるんだよなぁ。撮影現場を見てみたいような気がしてくるのはちょっと危険かもしれない。

 さすがに着ぐるみを着て天文台を訪問、とかいうのはないだろうな、やはり(だって望遠鏡を覗けない)。

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なみだがとまらない

不覚を取ったのは4回目。

 突如思い立って宗像ユリックスプラネタリウムに行ってきました。2006年2月に1度行っているので別の施設を目指す方が野望の成就には近道なのですが、まあ伸びてきて鬱陶しくなった髪の毛を何とかしておかないととかいろいろ事情があって間に合いそうなのが福岡市内か宗像くらいしか残っていなかったのですよ。

 宗像ユリックスというのは宗像市の運動公園やら何やらの集まった施設の総称のようで、その中の施設の一つとしてプラネタリウムが存在します。最近増えてきたNPOの運営による施設(2002年~)なのですが、その筋では有名な解説者が結構たくさんいらっしゃるようです。天文情報をメールで流してみたり観望会を定期的に行うなど積極的な活動を行っているせいか、観客動員も比較的好調のようです。その辺が低調だと予算削減→番組更新減少→観客動員減少のスパイラルに陥ることが多々あるので、積極性は評価したいところです。前回行った際にそういう印象があったこともあって車を出したのですが―福岡からだと宗像ユリックスは公共交通機関によるアクセス性が微妙な感じなのだ―。

 今回見たのは一般向け番組の「星のきじ馬~むなかた天馬物語~」で、地元に伝わる民工品「きじ馬(画像参照)」をうまく星絡みの物語に仕上げています。きじ馬自体が最澄の愛馬で天馬になった「シロ」がモデルとされているそうなので、ペガスス座を絡めるのは簡単というかやらなきゃ嘘だと思いますが、投影期間が夏(6月10日~9月3日)なので最初に見えているのは夏の星座で時間が経過して謎めいたセリフ(「空に星の天馬昇るとき夢の入り口は開かれる」)が出てくると東の空にペガスス座が昇っているのが見える―もちろんペガスス座の存在に思い当たり自分で探せる人であれば、ですが―という天文教育的な配慮もなされています。まあ、地元のネタで季節的な配慮もなされちゃんと天文に絡んでて宗像のプラネタリウムでやる意義の有る、ある意味理想的な番組です。

 いやしかしですね、そのクライマックスのところで不覚にも泣いてしまったのですよ、私。TJB本館やらここを長く見てきていらっしゃる方はご存知でしょうが、私は今までTV番組や映画などを見て泣いた記憶がないのですよ。親が死んでも泣きはしないが飯は食うくらいで涙もろいという言葉とは基本的に縁がないタイプの筈なのですが、何故かプラネタリウム番組で泣いたことが過去3度。そのうち2回がカール・セーガン博士ネタってところが偏ってますが、今回の番組の脚本が田島秀樹さんという方で実はそのセーガン博士ネタの番組の脚本を書かれた人でもあります。でも、だからってこの話のどこに私が泣く要素があるの?と聞かれると答えに窮するのも事実なのですが、何かツボを突かれたんでしょう…多分。ああ、人外の存在が何かに一生懸命ってのが強いて言えばツボなのかも知れません―とき325号ネタとかその辺で泣いたことはありますので、はい―。

[きじ馬]きじ馬の実物はこんな感じです。背中をよく見ると確かに翼状になっております。胸には宗像大社のお守りが入っているとか(ガラスケースの中なのでそこまでは確認していません)。番組中のきじ馬の絵には、それを収めるスペースと思しき穴があるように描かれています。

 とりあえず夏休みいっぱいは投影されるということで、お近くの方には一度見ておくことをお勧めいたします。私みたいに泣くことまではないにしても、これならプラネタリウム番組には一家言ある方でも満足できると思います。良質な番組のサンプルとして、ぜひ。

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りべんじ

初の3館制覇だ。

 3連休だというのに何もしないで過ごすというのも悲しいが、お金と体力には限りがあるという事で、残る重要条件である天気と相談の上鹿児島へ向かう事にしました。

 バイクで行けばネタ的に申し分ないのは山々ですが、諸般の事情で車にしました。出発後30分でにわか雨に遭遇して選択の正しさを思い知るとは予想しませんでしたが…。早朝に出発して一般道を延々と鹿児島まで走ったのですが、何か流れが遅くて快適とは言い難いものがありました。その割にほぼ予想通りの時刻に到着して喜んでいいのかなんというか…。

 で、まずは鹿児島市立科学館のプラネタリウムを鑑賞。4月に一度来ていますが、季節毎に番組が変わるので別の番組です。内容は悪くないのですが、マニアの入っている私にはもうちょっとという感じです。ギリシャ神話の黄泉の国の王がプルートってのは止めようよってところ…(ハーデスだよな)。

 車で15分ほど移動すると鹿児島県立博物館のプラネタリウムがあります。前回は降りる電停を間違えて手間取った為に開始時刻(最終回)に間に合わず涙を飲んだ因縁のあるところですが、今回は余裕で間に合いました。番組はエストニアの神話から題材を取っていた(少なくとも私は初めて見る)ものでしたが、…すみません、途中寝てしまいました。そんなに複雑な話ではないのでだいたいは掴めていると思いますが、何か肝心なところを見逃しているような気がしてなりません。設備では市立科学館にはかなわないものの、番組の質は見劣りしていない様に感じます。

 車で来たからには外す訳には行かないだろうスターランドAIRAが3館目にしてメインです。鹿児島市内からだともっと時間がかかるかと思っていたら、渋滞している割にあっさり到着。あまり早く着いても望遠鏡は覗けないので、海辺で桜島を見たりこれを書いて時間調整。

 …で、プラネタリウム夏番組を見た後望遠鏡で木星、アンタレス、M13(球状星団)、ベガ、M57(惑星状星雲)、アルビレオを見せていただきました。日没くらいまでは良く晴れていたのですが、薄雲がかかってきたせいか見え具合はもうちょっとという感じでした。今話題の木星の中赤斑はちょっと分かりませんでした。大赤斑も分からなかったですが(時間的な問題をチェックしてないので見えない時間帯だったかもしれないし、コンディションの問題かもしれない)。縞が3本見えるか見えないかという状態だったので、いずれにしても厳しかったかもしれません。まあ、チャレンジ出来ただけマシかも。

 さて、後は帰宅だ。

p.s.やはりほぼ予定通り帰宅できました。

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さすが、ですか?

普通じゃないのか。

 一昨日は東京まで出張してました、日帰りで。福岡-東京間なら新幹線でも日帰りできない訳ではありませんが、翌日のことなどを考えると現実的とは言いかねるので往復とも飛行機利用となりました。2月の1泊―ただし1日目は定時まで勤務した後宿に入るだけ―出張の際はそれでも往復で飛行機の機種を変えるというひねりを加えたのですが、今回はほぼ選択の余地無しということで往復ともB747-400でした。仕方ないので往路は1階の主翼の後ろでフラップなどの動きを観察、復路は2階でたまに夜景を見て過ごしましたが。

 で、東京の会社に着いた時に上司に「空港からどうやって来たの?」と聞かれたので正直に「京急1本で」と答えたら「さすがだねぇ」って…えーと、5年ほどの間に2回移転して都営地下鉄浅草線沿い―ただし本当の最寄駅は都営地下鉄新宿線で、その次が東京メトロ半蔵門線―になったので第一選択肢が相互乗り入れしている京急になるのは当然なんじゃ…?移転前のゆりかもめ沿い―その後道が良くなってJRから歩く方が速くなったりもしている―とかその前の中央・総武線沿いならまた考えがいろいろ出てきますがね。

 帰りは若干時間に余裕があったというか仕事が長引いても大丈夫なように遅めの便を予約した―が変更できない取り方をした―ので、ちょっとだけ遠回りしてモノレールで羽田入りしました。昨月の大阪出張の土産に買ったICOCA使って。もちろん東京モノレールにも何度か乗った事はあるので敢えてそんな事をする必要はないのですが、まあ同じ手段で空港入りするのも悔しかったのとICOCAが関東で本当に使えるか一応実験したくなったというか…JRだけでモノレールはダメとかそういうのあったらネタになるしね。もちろん使えなかったらアホということで、ちゃんと使えました。大阪出張の際にJR駅でICOCAを買っておいてJR線では使わず大阪市地下鉄しか使っていないというのは内緒です。私のICOCAはJR西日本エリアで使ったことがない筈、だ。<単にバカ

 ICOCAは来年くらいから実家のある広島エリアでも使えるようになると聞いたので買ったのですが、関西周辺ではJRも私鉄各線(PiTaPa対応の各社)も使えるし関東・新潟・仙台のJR線も使えるので私みたいなのにはなかなか便利ではあります。でも、福岡周辺ではSuicaが使えるようになるらしい…(買い物機能がまず使えるようになる、というオチがつく)。西鉄とJR九州は最初から相互使用を前提に動くようなので期待はしているんですが、これで福岡市営地下鉄、西鉄バスまでカバーしてくれれば大変ありがたい事になります(現在の磁気プリペイドカードでは地下鉄と西鉄、西鉄バスが利用可能)。でも、SuicaがPiTaPaとしては使えないように、ICOCAが九州カード(仮称…ですらない)と互換性を持たせてくれるかどうかはまた別の話。「これ1枚で非接触カードのところならどこでもOK」となるのは当分無理なんでしょうねぇ。

 少なくとも、一旦非接触カードに慣れると磁気カードがこんなに不便なのかと頭を抱えてしまえる事請け合いです。現在広島にはアストラムラインとバス各社の磁気カード、新幹線の自動改札(磁気切符)くらいしかない訳ですが、お金のないアストラムだけに自動改札の非接触化は当分なさそうだなぁ沿線住民としては悲観的な予想をせざるを得ないのが難ですね。狭いスリットを通さなくてもいいのでユニバーサルデザインとしても優秀だと思うのですが…。

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せんせい、あのね

…私はその世代じゃない。

 なんでも中学生の漢字の力が平均27.8点だとかでいろいろ語られているようですが、コメントを読んでいると「そりゃそうだろうな」と思えなくもありません。私の勤務先のメールサポート部隊のメール文面とか製品の取扱説明書を読んでいても感じるんですが―ここでも何回も語っているような気がするのは置いておこう―、読点の打ち方に違和感があると言うかなってないと言うか、「どうしてそこに点を打っているのか100字前後で説明しろ!」と叫びたくなる事が度々あります。当たり前と言えば当たり前、小学校から中学校にかけてそんなものを体系的に教えてもらった記憶のある人なんてまずいないからです。高校や大学あたりである程度レポートなどを書いてくれば多少マシになる場合もありますが、残念ながらそれを評価する方もちゃんと教わってないから…。

 で、タイトルのような書き出しで作文というか先生への日記だかを書かせて成果が上がったとかで大々的に全国に広めたと聞いたことがありますが、実際に効果があったかと言えば…そんな気がしただけとしか思えません。現役の高校生や大学生の書いているblogの文章を見たら「をいをいをいヲレが高校生のときに書いてた文章だってもう少しマシだったぜ」と言いたくなるようなものが圧倒的に多いのが現実です。効果が出てるんならレベルは底上げされている筈で…例え書き散らかしが主流のblogの文であっても。ある程度文章を書こうという意欲があればあまりレベルの低いものは書きたくないという意識が働いてきそうなもんですが、残念ながら書いたものを公開する方法の敷居が低くなるとレベルの低い層が増分の大半を占めるのはあまり変わらないようです。古い友人には言った事があるような気がしますが、私はこれを対数比例の法則と呼んでいます。人口が一桁増えると一定以上のレベルの人口が二倍、二桁増えると三倍という感じで、数学用語を聞くとアレルギーが出る向きには桁数と言い換えても特に問題ありません。この法則は人口に限らず出版物のアイテム数とか放送チャンネル数にもある程度適用できそうです。元はPCユーザーのレベルについての法則として提唱した記憶がありますが、私の提唱するような事ですからとっくの昔に誰かが提唱しているに違いありません。

 本題からちょっとずれてしまいましたが、日本の国語教育ってどうして情操教育モードでやりたがるのかが不思議でなりません。私のように小学校の読書感想文でどうやったら規定の字数(原稿用紙の枚数)で収まるかと思案していた部類の人間はまだいいとして、多くは何を書いていいやら分からない(のでどうやったら規定の枚数に達するかで四苦八苦する)人間っていうのが現実です。素直に感じた事を書いて原稿用紙3枚うまく埋められるような人なんて、後で役立つかは別としてもやはり相応の才能がある人に限られるでしょう。ある程度は努力でコントロールできるとしても、たかだか作文や読書感想文のためにそんな努力をする人なんてほとんど奇人の部類といってもいいのではないかと思います。結果的に文章というか言葉で表現するという事に意欲をそそられない、文章を書くことに苦痛を感じる人間を量産してしまうのも当然ではないでしょうか。

 で、そのまま後で改めて訓練を受けたりする機会がないと、職場の3分間スピーチなんて苦痛以外の何物でもなくなるのも当然でしょう。いえ、私は人前で話をするのは基本的に苦手な部類ですけどそういうのは意外と苦痛を感じることはなかったんですよね。「一応仕事に無関係な内容はNG(これだけ必須)で、3分だから○○字くらいで話せる分量で、なおかつ自分の趣味を反映させる」って縛りを自分で設定して、その中で「趣味の話で始めて仕事に全然関係ねぇじゃないかと思わせておいて、転結で仕事にうまく絡める」なんて成績評価に絡む訳でもないのにいろいろやっていたものです。こうなると順番が回ってくる数日前からネタ探し、分量に合わせて取捨選択してあらすじを脳内でまとめて当日を迎えるというのが一つの楽しみにすらなっていきます。メモや原稿・時計を見ながらってのは禁止でしたから私は完全に脳内だけでやってましたが、だいたい3分±15秒くらいで収めていた筈です。いや、1分で終わっちゃう人とか5分たっても終わらない人とかいましたけどね…。

 じゃあどうすりゃいいのよって事になるのですが、私は訓練でそこそこ上達でき、しかも評価も公平にしやすい説明文を主体にやるべきだと考えます。なまじ「あなたはどう感じましたか?」と聞くから正直に書いたら点数が…なんて事態がいくらでも出てくるのであって、説明文なら他の人が読んで分かるかという(比較的)客観的な基準で評価できます。何故国語でそれをやらないか…「昔からそうやっているから」「(説明文主体の指導なんて)やったことないから」程度の理由しかないのでは、と私は見ています。あ、国語を情操教育のための科目と信じ込んでいるというのもあるかも知れませんね。いっそ総合教育とやらを国語に置き換えちゃどうかという気もします。純然たる国語は字を教えるだけの科目にしちゃうとか、ね。

 漢字力がどうこう言ってるのに漢字の話が出てこないじゃないかと苛立っている人がいらっしゃるかも知れません。が、漢字って結局文章表現のための道具なのであってそれ自体が目的になるべき性質のものではないのですよ。「この気持ちを一番的確に表現できる熟語(字)はないだろうか」とか「筆者がこの熟語(字)を使っているのはどのような理由からだろう?」とか、文章を真剣に読み書きする機会があれば必然的に興味も湧くでしょうし憶えても行くでしょう―そういう風に持っていくのが教育なんじゃないかと思うのですが―。漢字検定は一つの手段として有効ではあるでしょうが、字(熟語)を知っているだけで文章に使えないんじゃあまり意味はないでしょう。ただ、漢字を覚えるときにとにかく丸暗記!みたいな方法よりも象形・指事・会意・形声・転注・仮借の成り立ちとか部首に着目する方が何かと便利じゃないかとは思います―学校のカリキュラムだとずいぶん後になってから教えるみたいなんだけど、私は最初のうちに着目しておく方が良いと思う―。

 念の為申し上げておきますが、私だって昔書いた文章を今読んだら良くて赤面物ばかりなんですからね。切れ味だけは昔の方があったかなと思わなくもないですが…。

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